こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
前回は関内という名前の由来についてお話ししましたが、今回からは建築を巡る記事となります。
JR関内駅からスタートしましょう。
ちなみに、私は有名建築を案内するガイドとして、地元横浜の近代建築を巡る「横浜近代建築ツアー」を独自に企画・催行しております。
ご興味ある方はこちらをご参照ください。
旧横浜市庁舎
京浜東北線が走るJR関内駅の南口を出て、海側の横浜スタジアム方面へ向かうと、目の前に最初の建物、旧横浜市庁舎が現れます。
旧横浜市庁舎は、開港100周年記念事業として建設され、1959(昭和34)年に竣工した地上8階、地下1階のSRC(鉄筋コンクリート)造の建物です。
2020年6月、新市庁舎の完成により役目を終えるまで、およそ60年の長きにわたって使用されました。
旧横浜市庁舎を設計した村野藤吾(1891-1984)は、丹下健三(1913-2005)と並び称される建築界の巨匠で、機能重視のモダニズム建築全盛の時代にありながら、独特の装飾的なデザインで知られる建築家です。
旧横浜市庁舎は、村野藤吾による戦後復興期のモダニズム建築の代表作といわれています。一見、シンプルなデザインに見えますが、細部を見ると村野らしい凝った意匠が随所に見られます。
コンクリートの柱は上階へ行くほど(2階ごとに)細くなっています。
壁面にはバルコニーと窓が、ランダムに散りばめられたように配置され、リズミカルな印象を与えています。
そして屋上には、漁網をモチーフにした塔が建てられています。そこには、戦後復興期の市民を励ますために取り付けられた、「愛市の鐘」とよばれる鐘が残っています。
鐘の表面には、横浜発展のきっかけとなった、ペリーの黒船が描かれているとのことです。
なぜ漁網がモチーフかというと、ここには目の前に運河があり、海から運ばれた魚を取引する魚市場があったことによります。
旧横浜市庁舎の内部には、戦後の民主主義を反映した市民広間という素晴らしい空間がありました。
この市民広間は、残念ながらもう見ることができません。
というのも、この旧横浜市庁舎の建物は、約7,700万円で売却される予定で、この土地に高層ビルを中心とした、複合商業施設建設が計画されています。
その計画では、行政棟は宿泊施設として再利用されるものの、市民広間と議会棟は取り壊されるとのことです。
7,700万円という、個人でも手が届きそうな金額は物議を醸しましたが、すでに工事は始まっています。
村野藤吾の名建築が、なるべく良い形で保存されることを願うばかりです。
横浜の近代建築を巡る「横浜近代建築ツアー」を独自に企画・催行しております。
ご興味ある方はページ下部からのリンクをご参照ください。