こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介します。
今回は、キングの名称にふさわしい重厚な風格を持つ「神奈川県庁本庁舎」です。
目次
神奈川県庁本庁舎とは
「神奈川県庁本庁舎」は、横浜三塔の一つ「キング」の愛称で知られる、神奈川県の4代目県庁舎です。
関東大震災で被災した3代目庁舎に代わり、耐震・耐火に優れた鉄筋コンクリート構造を採用し、昭和3(1928)年に横浜最大の建物として竣工しました。
その設計競技では、当時の日本の玄関・横浜にふさわしく「出入港する船舶から、その所在を容易に認識できる意匠」が望まれ、五重塔をモチーフにした塔屋を持つ案が採用されています。
この建物は「帝冠(ていかん)様式」の先駆けとなり、後に多くの公共建築が続きます。
和風な意匠だけではなく、随所に近代建築の巨匠「フランク・ロイド・ライト」の影響が見られ、また当時流行したアール・デコ調の装飾が優美な印象を与る、王者の風格を備えた横浜のランドマークの一つです。
Kanagawa Prefectural Government Main Building, known as the nickname King, one of the Yokohama Three Towers, is the 4th generation building.
That reinforced concrete building with excellent earthquake and fire resistance was completed in 1928 after the demolition of the 3rd one damaged by the Great Kanto Earthquake.
In the design competition, a rule required "the design that makes the building easy to be recognized from ships arriving and leaving Yokohama," resulting in the idea of using a tower with a five-storied pagoda as a motif.
The design pioneered "Teikan Style," literally meaning the imperial crown style, followed by many public buildings.
The building features Japanese and Western tastes, such as the Frank Lloyd Wright and the art deco designs popular at that time, giving a graceful impression.
With the kingly air, Kanagawa Prefectural Government Main Building is a landmark of Yokohama.
神奈川県庁本庁舎の歴史
初代の神奈川県庁舎には、慶応3(1867)年に建てられた、神奈川奉行所の横浜役所が使用されました。建物は、日本人が西洋建築を模した和洋折衷の「擬洋風(ぎようふう)建築」で、日本人棟梁の手による最初の洋風建築物といわれています。
その場所は、現在の県庁舎と本町通りを挟んだ反対側、横浜地方検察庁と横浜地方裁判所のあるところです。この初代県庁舎は、ほどなく明治15(1882)年に火災で焼失します。
2代目の庁舎は、横浜税関の建物を譲り受けたものが使用されました。
横浜で多くの西洋建築を手がけたアメリカ人の建築技師、リチャード・ブリジェンス(Richard Perkins Bridgens)が設計し、明治6(1873)年に竣工した、木骨石造3階建ての本格的洋風建築でした。
明治16(1883)年から明治42(1909)年まで県庁舎として使用されました。
その場所は、「象の鼻」と呼ばれる波止場があった開港場の中心地で、1854年にペリー提督が上陸し、日米和親条約が結ばれたところでもあります。
そこには幕府の神奈川運上所(税関・外務・行政などを行う総合的な役所)があり、現在はその碑が立っています。
現在の本庁舎もその場所に建っています。
2代目の庁舎は手狭となったため取り壊しとなり、明治期の名建築家、片山東熊(かたやまとうくま)の設計による、3代目の庁舎が大正2(1913)年に建てられました。
片山東熊は宮内省内匠寮(ないしょうりょう)で、迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)などを設計した宮廷建築家として有名です。
3代目庁舎も壮麗なフランス風の建物でしたが、竣工からわずか10年後の大正12(1923)年、関東大震災による火災で外壁を残して焼失したため取り壊されました。
大正15(1926)年、4代目となる県庁舎の設計案を公募する、設計競技(コンペ)が行われます。当時、日本の表玄関であった横浜港に建つ神奈川県庁舎には、それにふさわしい威厳と、日本的な意匠が求められました。
その「設計心得」(要件)では「出入港する船舶から、その所在を容易に認識できる意匠」が望まれ、約400件の応募作は多数が塔を持ったデザインでした。
その中から、東京市に勤務する小尾嘉郎(おびかろう)の案が一等当選となり、それをもとに実際の設計がなされました。
当時、東京帝国大学教授で耐震・耐火建築の第一人者であった佐野利器(さのとしかた)は、コンペ審査員を務め、実施設計から工事終了まで、顧問として庁舎の建設に携わりました。佐野は小尾の設計案を高く評価しています。
4代目庁舎は昭和3(1928)年に竣工、その様式はアメリカ調の事務所建築の上に、五重塔をモチーフにした塔屋を重ねた「日本趣味を基調とした近世式」といわれました。
その後「神奈川県庁本庁舎」は、太平洋戦争の空襲や戦後の米軍による接収を耐え抜き、修復を重ねながら、現在まで県庁舎として使い続けられています。
平成8(1996)年には国の登録有形文化財、そして令和元(2019)年に国の重要文化財に指定されました。平成19(2007)年には、経済産業省より「横浜港周辺の関連建築物群」として近代化産業遺産に指定されています。
神奈川県庁本庁舎の見どころ(外観)
「神奈川県庁本庁舎」は水平方向に広がりを持つ建物本体(高さ23m)に、勾配屋根を持つ塔屋(高さ49m)を重ねた、独特の外観が特徴です。
このような和風の塔や屋根を持つ形は「帝冠様式(ていかんようしき)」と呼ばれ、昭和初期に多くの公共建築で採用されます。
「神奈川県庁本庁舎」はその先駆的事例ともいわれています。
建物の構造は明治・大正期の煉瓦建築と違い、より耐震・耐火性能の高い鉄筋コンクリート造で、外装のタイルが赤煉瓦とは異なる風合いを見せています。
また、建築当時流行したアール・デコ様式の意匠が随所に見られます。
アール・デコは、シンプルな幾何学模様の繰り返しや、左右対称性が強いことが特徴です。本庁舎の水平方向・左右対称に窓が連続する外観は、アール・デコを感じさせます。
ところどころに張り出した軒先にも、銅板で矢羽根のような形をしたデザインが繰り返され、その緑青色と相まって建物にアクセントを与えています。
中央玄関の上部には、シンプルでありながら西洋古典主義様式の列柱をイメージさせる付け柱が上に伸び、塔屋へとつながる垂直方向へ視線を導きます。
建物本体は西洋古典主義様式にしたがい、3つの層に分かれています。第1層は1階部分の白い花崗岩(万成石)張りの基壇階、第2層は2階から4階までの主階、そして5階部分の屋階と、シンプルなデザインながらも西洋古典主義の伝統的な壁面分割を踏襲しています。
塔屋がなければ、実機能を優先させたオフィスビルのような外観になり、合理性とデザイン性を持った建物といえます。
設計者の小尾嘉郎は、アメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)の建築が好きで、その影響をかなり受けていたようです。
フランク・ロイド・ライトの名声は当時から高く、日本では有名な旧帝国ホテル本館(ライト館)を手がけます。
旧帝国ホテル本館はデザインもさることながら、関東大震災に耐え抜いたこともあり、以後の日本人建築家に与えた影響はかなりのものだったと思われます。
実際、ライトが旧帝国ホテル本館で採用した、スクラッチタイルという表面に細い溝を刻んだ外装材は、震災復興期(1920~1930年代)の建物の多くに使用されています。
ライトは、旧帝国ホテル本館で中央部分に立像を持つ、日本の伝統的な屋根形式の一種・宝形造(ほうぎょうづくり)の屋根を用いましたが、「神奈川県庁本庁舎」の塔屋の屋根も同型で、設計原案ではやはり立像が乗るデザインでした。
竣工時には立像ではなく、五重塔にある相輪をイメージした飾りが付けられました。現在は、さらにシンプルなものとなっています。
「神奈川県庁本庁舎」外壁の大部分には、本来のスクラッチタイルのような溝ではなく、筋の入った筋面タイルが使われており、スクラッチタイルに似た風合いを作り出しています。
また、ライトが旧帝国ホテル本館で使用したようなテラコッタ(素焼きの焼き物)を使うなど、多くの似かよった意匠が見られます。
神奈川県庁本庁舎の見どころ(内部)
「神奈川県庁本庁舎」の内部は、アール・デコ調のシンプルさに、和風をかなり意識したデザインが多く見られます。
多く用いられているのは「宝相華(ほうそうげ)」紋様です。「宝相華」は極楽に咲くといわれる想像上の花で、牡丹や蓮華を組み合わせたようなものと考えられています。正面階段の装飾灯や天井のシャンデリア、階段手摺のグリル(飾り格子)など、いたるところに使用されています。
内装は全体的には、少し後に建てられた東京国立博物館本館(旧帝室博物館 1937年竣工)を、かなり小さくしたような雰囲気を持っています。
天井の梁には、コンクリート建築ながらも木造建築で見られる持送り(もちおくり)が見られます。装飾には渦が連続するような、川の流れをベースにした紋様、ギリシア雷紋(らいもん)が使われており、和洋折衷のデザインとなっています。
壁や床には当時流行した、木綿豆腐の表面のような布目(ぬのめ)タイルが使われ、一枚一枚色合いが異なる、焼き物の表情を見せています。
また、シャンデリアには神奈川県の木であるイチョウの葉の模様があしらわれています。
塔屋には上れませんが、屋上は一般に開放されていて、塔を間近に見ることができます。
塔屋の基部(6階)には、神奈川県庁本庁舎の歴史や建築、内装に関する展示室があり、貴重な資料や図面が公開されています。この展示室の見学もおすすめです。(現在閉鎖中)
また、屋上からは横浜港(象の鼻)やジャック(横浜市開港記念会館)、クイーン(横浜税関本関庁舎)、赤レンガ倉庫など、周辺の景色を楽しむことができます。
神奈川県庁本庁舎にまつわるエピソード
大正15(1926)年に行われた「神奈川県庁本庁舎」の設計競技(コンペ)には、多くの建築家から約400件の応募がありました。その中で、三等一席に土浦亀城(つちうらかめき)の案が当選していることが目を引きます。
土浦亀城はフランク・ロイド・ライトのもとで学び、のちにモダニズム建築家として名を馳せます。
そのコンペ案は日本的伝統を感じさせない、モダンでかなり前衛的なイメージですが、佐野利器をはじめとする審査員に高く評価されたようです。
これが採用されていたら現在とはかなり違ったイメージの建物になっていたかもしれません。
おわりに
港町・横浜の中心地にある「神奈川県庁本庁舎」は、キングの名にふさわしく、重厚な佇まいで横浜のランドマークの一つになっています。
竣工当時は横浜最大の建物で、日本の玄関口であった横浜に入港する外国人船客に、日本の第一印象を与えたことでしょう。
その格調高い内装は、国内外の賓客を迎えるためにデザインされたもので、当時の県庁舎、そして横浜の重要性を推し量ることができます。
そのようなことを考えながら建物の内外を鑑賞すると、現在の様子とは違う、当時の港町・横浜の風景が心に思い描かれるのではないでしょうか。
そういったことも、横浜を訪れる外国人のお客様には興味をそそられる話かもしれません。
神奈川県庁本庁舎 データ
所在地:横浜市中区日本大通1(Googleマップ)
構造:SRC造5階地下1階・塔屋付
設計者:小尾嘉郎
建設:大林組
竣工:昭和3(1928)年
国指定重要文化財
※開館日、アクセスなどの情報はこちら
参考文献
・「神奈川県庁本庁舎のデザインに関する一考察 -フランク・ロイド・ライトへのオマージュ-」佐藤 嘉明
・「日本のアール・デコ建築入門」(王国社)吉田鋼市
・「横浜近代建築-関内・関外の歴史的建造物」
公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部神奈川地域会、まちづくり保存研究会