こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
横浜の建築集中地帯のひとつ、横浜日本大通りの周辺にある建築を巡る記事の第5回目です。
前回から少し間があきましたが、いよいよ日本大通りへと入っていきます。
ちなみに、私は有名建築を案内するガイドとして、地元横浜の近代建築を巡る「横浜近代建築ツアー」を独自に企画・催行しております。
ご興味ある方はこちらをご参照ください。
横浜公園を中央から港側へ出ると日本大通りが正面に広がっています。
日本大通り
ここで日本大通りについてふれておきましょう。
1866年(慶応2年)に横浜居留地で発生した大火ののち、街づくりのひとつの柱として、英国人技師のリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1870(明治3)年に完成した日本初の西洋式街路です。
1875年(明治8年)に「日本大通り」と名づけられました。
当初は防火帯として、日本人と外国人の居留地を分けるためのものでしたが、横浜公園から港まで延びる大通りには、当時の横浜の都市軸として人々や車が行き交い、周辺にさまざまな建物が建設されました。
当初から舗装された道路を持ち、車道と歩道を分離し、歩道と建物の間には植樹帯が設けられました。道幅36mと広い道路の両側に、歩道・植樹帯が大きくとられ、歩行者にとって快適な空間が広がっています。
周辺に高層の建物が少ないこととあいまって、広々とした空を感じることのできるこの場所は、ドラマなどのロケ地としてもよく使われています。
歩道の広いスペースは、オープンカフェの運営が許可されていて、休日には多くの人たちがくつろぎの時間を楽しんでいます。
その日本大通りの入り口にあたる場所に建っている歴史的建造物が、「旧日本綿花横浜支店」です。
旧日本綿花横浜支店
横浜の街に似合う、レトロな外観の旧日本綿花横浜支店は、総合商社 双日の母体のひとつ、ニチメンの前身である「日本綿花」の横浜支店として、1928(昭和3)年に竣工しました。地上4階、地下1階のRC(コンクリート)造の建物です。
設計者の渡辺節(わたなべせつ)は主に関西で活躍し、綿業会館など多くの優れた建物を手がけました。特に旧横浜市庁舎を設計した村野藤吾を見いだし、厳しく鍛えたことで知られています。
旧日本綿花横浜支店は、渡辺節の関東における数少ない作品のひとつです。
この建物は左右の棟から構成され、上記の写真左は事務所棟、右は倉庫棟として建設されました。現在、事務所棟は横浜DeNAベイスターズが運営する複合施設「THE BAYS(ザ・ベイス)」として、倉庫棟は「横浜市中区役所別館」として使用されています。
外壁は表面に溝を持つ、あたたかな色合いのスクラッチタイルでおおわれ、シンプルながらも軒下のアーチが繰り返す装飾(コーニス)や、玄関まわりのレリーフなどが西洋の古典様式の雰囲気を添えています。
沿道の銀杏の季節ごとの色合いとあいまって、日本大通りの景観を美しく飾る建物です。
建物の足元、基壇部分をよく見ると謎めいた記号が刻まれています。この記号の秘密については別の記事「建物に刻まれた数字の暗号?(2)」で解説していますので、ご興味がある方はそちらをご覧ください。
この旧事務所棟は「THE BAYS(ザ・ベイス)」として、1階は雑貨や洋服を扱うショップ「Lifestyle Shop +B」や、ビアバー「CRAFT BEER DINING &9」が入っています。ビアバーではレトロ感漂うモダンな空間で、ベイスターズがプロデュースするクラフトビールやフードを楽しむことができます。
街歩きに疲れたら、ここでビールを飲んでくつろぐことが私のお気に入りのひとときとなっています。
昭和初期のレトロな雰囲気があふれる建物の中で、その歴史に思いを馳せながら、ゆったりとした時間を過ごしてみてはいかがでしょうか?