こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
都市部には、有名な建築が多く建ち並ぶ場所があります。
これは、その土地の歴史的・地理的なものが、磁力のように建築を引きつけた結果、形成されてきたともいえるものです。
例えば東京では、上野公園、表参道、銀座、日比谷・丸の内といった場所があげられます。
幕末から国際港湾都市として発展した、横浜にも建築集中地帯があります。
その中から、横浜日本大通りの周辺にある建築を紹介したいと思います。
過去、横浜の建築についてはいくつか記事を書いていますので、そちらも引用しつつ、写真中心に紹介していきます。
ちなみに、私は有名建築を案内するガイドとして、地元横浜の近代建築を巡る「横浜近代建築ツアー」を独自に企画・催行しております。
ご興味ある方はこちらをご参照ください。
関内(かんない)の由来
幕末、横浜が開港地となったことはよく知られています。
横浜は当時の幹線道路である、東海道から大きくそれたところにあり、外国人と日本人の接触をなるべく避けたい幕府にとって都合がよい場所でした。
幕府はさらに開港地である横浜を、長崎の出島のような、隔離された場所にしようとします。そのため、外国人居留地を含む開港地を川や運河で切り離し、橋のたもとに関所を設けて出入りを監視・制限ました。
その関所から内側を「関内(かんない)」、外側を「関外(かんがい)」と呼んだことが、今のJR関内駅の名前の由来です。
実は横浜に「関内(かんない)」という地名はありませんが、今でもJR関内駅周辺は、関内と呼ばれています。
下記は現在のJR関内駅付近の航空写真です。
赤い線で囲われた部分が、関内と呼ばれた開港地にあたります。
そして現在の横浜スタジアムを含む「横浜公園」から港に向かう道路が、「日本大通り」です。写真中央の赤い直線の部分です。
明治以降、日本大通りを中心に、近代建築が建ち並びました。
明治期の建物の多くは、1923(大正12)年の関東大震災で損壊してしまいましたが、それでも震災を生き延びたクラシカルな明治・大正期の建物や、震災復興期に建てられた戦前の華やかなアール・デコ調の建物、戦後から高度成長期の昭和モダニズム建築など、各時代を代表する美しい建物が街を彩っています。
以前、横浜の近代建築について、導入編といえる記事「横浜近代建築の魅力」を書いています。
そちらもご参照いただければ幸いです。
また、横浜の近代建築を巡る「横浜近代建築ツアー」を独自に企画・催行しております。
ご興味ある方はページ下部からのリンクをご参照ください。