こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
建物をよく見ていると、ときどき「これはどういう意味なんだろう?」というものが目に入ることがあるかと思います。
建物に刻まれた、暗号のような数字に注目する第3回目は、西洋建築に特徴的な意匠に関する話です。
メダイヨン
西洋建築には、ギリシャ・ローマを起源とする、「古典主義様式」のさまざまな装飾意匠が見られます。
その中に壁面を飾る「メダイヨン」というものがあります。
メダイヨンとは、
メダイヨンはメダリオンとも呼ばれ、円形や方形の枠で縁取られた装飾のことです。壁面などに多用されています。
「実況・近代建築史講義」(中谷礼仁) 空白のメダイヨン より
(中略)
ようは、建築装飾となった額、フレームですね。円形や方形のフレームの中に、その家の来歴を物語るモチーフなどを彫刻や絵画として嵌め込んだものです。
メダイヨンは、日本では特に明治時代の西洋建築に見られ、その建物に関連する事物が表現されていることが多いです。
銀座・和光ビル(旧服部時計店本社ビル)
東京・銀座4丁目交差点にある、和光ビル(旧服部時計店本社ビル)は、昭和7(1932)年に竣工した、銀座の顔ともいうべき建物です。
設計は、東京国立博物館本館を手がけた建築家・渡辺仁。渡辺は他にも、皇居お濠端の第一生命館(現DNタワー21に保存)、横浜のホテルニューグランド本館など、有名な建物を手がけており、デザイン力の高い建築家といえます。
和光ビルは、建築の主流が西洋の古典主義様式から、モダニズムといわれる装飾を排した機能的な建築に移る途中の建物です。
そのため装飾は比較的に少ないのですが、それでも1階と2階の間の外壁には、いくつかメダイヨンを見ることができます。
和光ビルは、服部時計店本社ビルとして建てられたので、メダイヨンには、時計や時間に関する事物が描かれています。
その中に、懐中時計と思われる意匠に「H」という文字と、その下に「2541」という数字が刻まれたレリーフがあります。
この数字「2541」 は、皇紀年をあらわしています。
皇紀は日本書紀に記された、神武天皇が即位した年を元年としたもので、戦前は広く使われていました。
皇紀については、下記記事をご参照ください。
和光ビルのメダイヨンの数字「2541」は、皇紀2541年という意味です。
西暦に換算すると、2541-660=1881年となります。
これは「H」すなわち服部時計店の、創業年を表しています。
このメダイヨンは服部時計店の紋章に、創業年の数字を重ねたものです。
余談 ~ 日本建築におけるメダイヨン
メダイヨンに何を表現するかということは、西洋文化に対する深い理解を必要とします。
明治時代の初期の日本人建築家たち、あるいは芸術家たちは、まだ西洋文化への理解が必ずしも十分ではありませんでした。
そのため、当時の建築物(日本銀行本館や旧帝国奈良博物館など)のメダイヨンを見ると、何も描かれていなかったりしています。
明治時代も後期になり、ようやく建物壁面のメダイヨンがにぎやかになります。
東京国立博物館・表慶館は明治41(1908)年竣工の建物で、ヨーロッパの宮殿のような堂々とした西洋建築です。
この建物の壁面上部には、四角い枠の中にさまざまな彫刻が施されたメダイヨンが見られます。
表慶館のメダイヨンには、博物館の建物らしく、図画工作の道具や楽器など、芸術性を表現した意匠が見られます。
その中には、日本の大工道具の釿/手斧(ちょうな)や斧、そして般若の面などの彫刻が施されているものもあります。(建物に向かって正面玄関の右側の位置)
ヨーロッパ風の建築でありながら、日本的要素が織り込まれているところがおもしろいですね。
明治時代を通して日本人が西洋建築の技法を習得し、西洋と日本の文化的文脈を反映した建物を造れるようになったことを示しているようです。