こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。
今回は沖縄最大の都市・那覇市中心部の建築についての記事(その3)です。
那覇市のメインストリート「国際通り」とその周辺は、那覇の顔ともいうべき場所で、さまざまな建築が立ち並び、有名建築家が手がけた建物もあります。
その中で、超有名建築家が手がけたものの、意外と知られていない建築、「フェスティバルビル(ドン・キホーテ国際通り店)」をご紹介します。
なお、私と沖縄の関係ですが、初めて沖縄を訪れたのが1985年。以来、本土にはない沖縄が持つ独特の雰囲気に魅了され、旅行者として毎年のように通っています。
フェスティバルビル (ドンキ・ホーテ国際通り店)
「国際通り」のほぼ中央、むつみ橋交差点の市場本通りの入り口横に立つ「ドン・キホーテ国際通り店」は、クリーム色の外壁と、窓周りの赤色が目を引く、地上8階・地下1階の商業ビルです。
1984年の竣工時は「フェスティバルビル」という名称でした。
あまり知られていないようですが、このビルは有名な世界的建築家・安藤忠雄氏が、沖縄の建築設計会社「国建(くにけん)」と組んで手がけた建築です。
当時の安藤氏は、1979年に「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞し、注目を浴びはじめた頃でした。
安藤氏は設計にあたって、沖縄の気候風土や建築について深く考察したようです。
建築のコンセプトは「光と風と影を孕(はら)む箱」。
建物は一辺が36mの箱のような立方体で、外壁面をはじめ随所に沖縄の花ブロックが使用されています。
花ブロックは、安藤氏と国建のスタッフが、那覇の街を散策する中で見出した、沖縄的建材です。
※花ブロックについては当ブログの記事「沖縄建築の特徴」をご参照ください。
建物中央は「光の井戸」といわれる吹き抜けになっており、それを囲むように階段やバルコニー状の回廊が、上層へと続きます。
外壁の花ブロックと吹き抜けが沖縄の光と風を通し、打ち放しコンクリートに光と影が描かれる、安藤氏らしい建築でした。
※竣工当時の写真は「タイムス住宅新聞ウェブマガジン」の「新しい沖縄建築をつくる試みと挑戦|フェスティバルビル(那覇市)」に掲載されていますのでご参照ください。
しかしながら現在、この建物には安藤建築の特徴を見出すことが難しくなっています。
竣工後、時間の経過とともに、1996年に那覇OPA、2014年にはドン・キホーテのビルとなり、大きく改装されました。
入り口の大階段は撤去され、中央部の吹き抜けの表層は改装され無表情になり、そこに雑多な看板などが取り付けられています。さらに吹き抜け上部はテント屋根で覆われ、当初の面影を感じることができません。
私は何度かこの吹き抜け部分で、安藤建築らしい箇所を見出して写真を撮ろうとしましたが、残念ながら被写体にできるような対象を見つけることができませんでした。
なぜここまで変わってしまったのかは何ともいえませんが、沖縄の気候風土に必ずしもあわないところがあったのかもしれません。
沖縄の強い日差しや雨、そして湿気などは、本土の人間が想像する以上に厳しいものがあり、屋根がなく外部の光や風、そして雨が入り、空調設備のない建物は、商業ビルとしては耐えられなかったというところでしょうか。
フェスティバルビルが改装されたとき、安藤氏が気分を害したという話もあるようですが、「国建の半世紀 第3章1980年代ー拡大期」という資料には「商業施設だからニーズに合わせて変化するのは仕方ない、と残念そうに漏らしていた」という記述があります。
私にはフェスティバルビルが、コンクリート打ち放しだった記憶がほとんどありません。OPA時代の記憶に上書きされてしまったようですが、私にとってはその姿がこの建物の、そして街の記憶になっています。
フェスティバルビル(ドン・キホーテ国際通り店)の裏側は、コンクリート打ち放しのままだそうなので、今度沖縄に行った際は、裏側に回ってオリジナルの壁面を眺めてみたいと思います。
フェスティバルビル(ドン・キホーテ国際通り店) データ
所在地:那覇市松尾2-8-19
構造:RC造 地上8階 地下1階
設計者:安藤忠雄建築研究所+国建
建設:竹中工務店
竣工:昭和59(1984)年
参考資料
- 「国建の半世紀 第3章1980年代ー拡大期」株式会社国建ウェブサイト
- 「新しい沖縄建築をつくる試みと挑戦|フェスティバルビル(那覇市)」 タイムス住宅新聞ウェブマガジン
- 「地元ガイドが書いた那覇まちま~いの本」那覇まちま~いガイド文芸部編 ボーダーインク