こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介します。
今回は、赤煉瓦に白い花崗岩のストライプが映える「横浜市開港記念会館」です。
横浜市開港記念会館とは
「横浜市開港記念会館」は、その時計塔が横浜三塔の一つ「ジャック」の愛称で知られる、横浜を代表する赤煉瓦の建物です。
横浜開港50周年を記念して、大正6(1917)年に公会堂として建設された同会館は、関東大震災や戦後の米軍接収という災難にあいながら何度も修復され、今なお現役の公会堂として横浜市民に愛され、利用され続けています。
赤煉瓦に白いストライプの華やかな外観と、和洋意匠のステンドグラスなど、往時を感じる室内装飾が魅力の美しい建物です。
Yokohama Port Opening Memorial Hall is a representative red brick building of Yokohama, with the clock tower known as the nickname Jack, one of the "Yokohama Three Towers."
The building was built as a public hall in 1917, commemorating the 50th anniversary of Yokohama's port opening.
While experiencing the hardships of the Great Kanto Earthquake and requisition of the US military after the Second World War, the public hall has been restored many times and used with the locals' love for it.
横浜市開港記念会館の歴史
建物が立つ場所は、かつての開港場の中心地、関内(かんない)の東西を結ぶ大通り「本町通り」に面し、幕末の開港直後に越前福井藩が出店した輸出貿易商店「石川屋」があったところで、岡倉天心の生誕地でもあります。
明治7(1874)年、この場所に横浜商人によって、時計塔を持つ西洋風石造2階建ての建物が建てられ、町会所(まちかいしょ)と呼ばれました。
設計はアメリカ人の建築技師ブリジェンス、施工は二代目・清水喜助の清水組(現清水建設)でした。
町会所は残念ながら、明治39(1906)年の火事により焼失。そのあと、建設費に横浜市民や企業の寄付を募り、横浜開港50周年を記念して大正6(1917)年に竣工したのが「開港記念横浜会館」(当時の名称)です。現在と同じ姿の建物で、建設工事は横浜で多くの建物に関わってきた、清水組が再び手がけました。
横浜市民の誇るランドマークであった「開港記念横浜会館」(以下、横浜会館)ですが、わずか6年後の大正12(1923)年9月1日、横浜を襲った関東大震災で、倒壊はまぬがれたものの、直後に発生した火災で、時計塔と外壁を残して焼失してしまいました。
同様の被害を受けた多くの建物が解体される中、横浜会館もしばらく放置されていましたが、大正15(1926)年6月から復旧工事が始まります。
しかし、ドーム屋根だけは建設当時の設計図が見つからず、代わりにコンクリートの陸屋根(水平屋根)を架し、内装も一新されて、昭和2(1927)年6月に再開館しました。
その姿は、震災復興のシンボルとして、多くの横浜市民に勇気を与えたことでしょう。
太平洋戦争末期、昭和20(1945)年5月29日の横浜大空襲では、破壊をまぬがれたものの、終戦とともに「開港記念横浜会館」は米軍に接収されます。
米軍接収中、横浜会館は「メモリアルホール」と呼ばれ、映画や演劇・演奏会の場として利用されます。
そして、開港100周年の昭和33(1958)年6月30日に、ようやく横浜市へ返還されました。
返還後は名称が現在の「横浜市開港記念会館」に変更され、再び公会堂として横浜市民に利用されます。その後、横浜会館を存続するか廃止するかという議論が起こりますが、結論が出ないまま年月が経過。
そして、創建時の設計資料が震災復旧時の工事関係者の家から見つかったことがきっかけとなり、ドームの復元が動き出します。
横浜会館の歴史的建造物としての意義が認められ、横浜市政100周年、開港130周年記念事業として、ドームの復元工事が行われ、平成元(1989)年に完成。
会館は創建時の姿を取り戻し、同年、国の重要文化財に指定されました。
「横浜市開港記念会館」は、このように横浜市民とともに苦難の時代を経験しながら、幾度の復元に関わった人々の思いも受け継ぎ、現在も使い続けられている名建築なのです。
横浜市開港記念会館の見どころ(外観)
「横浜市開港記念会館」は、日本が明治から大正にかけて西洋の煉瓦建築の意匠・構造を学び、それを習得、発展させてきた集大成ともいえる、国内煉瓦建築の最高傑作のひとつです。
大正2(1913)年に募集されたコンペ(設計競技)で一等となった、建築技師・福田重義の案は、旧町会所の建物と同様に時計塔を立て、屋根にはドームを配し、当時流行した赤煉瓦に白い石(花崗岩)のラインでアクセントを付けた、クイーン・アンスタイルまたは辰野式フリー・クラシックスタイルともいわれる、華やかな英国ヴィクトリアン・ゴシック風デザイン。
明治から大正期の有名な建築家、辰野金吾(たつのきんご)が東京駅赤煉瓦駅舎で採用した、そのスタイルに影響を受けています。
建物の構造は、コンクリートの基礎に煉瓦を積み上げた、組積造(そせきぞう)といわれるもの。
この構造は地震に対して弱いため、煉瓦の間に帯鉄や鉄棒を入れた「碇聯(ていれん)鉄構法」と呼ばれる方法で、補強されています。
「碇聯鉄構法」は、明治37(1904)年に竣工した「旧横浜正金銀行本店本館(神奈川県立歴史博物館)」でも導入されており、関東大震災で、これら建物の倒壊を防ぐことにつながりました。
この構法の様子は、建物内部で一部を見ることができます。
外壁は積み上げた構造煉瓦をそのままむき出しにせず、化粧用の煉瓦タイルを貼って美しく仕上げています。日本人の美意識がなせる技です。
ジャックの塔と呼ばれる塔の高さは36m。時計塔の上に重ねられた塔屋が、全体の印象を引き立てています。
時計塔の上部にある、四方に突き出した棒状の突起物は、ガーゴイルと呼ばれる、もともとは雨樋の落とし口で、旗竿受けとして使われたもの。
大屋根は銅板と天然スレート(粘板岩)葺き。数少ない熟練の職人が、一枚一枚丹念に葺き、複雑な装飾を持つ屋根を美しく仕上げています。
横浜市開港記念会館の見どころ(内部)
エントランスのロビーでは、床にタイルで描かれた花模様のモザイク画や、天井に施された漆喰の彫刻、そしてイオニア式柱頭飾りの列柱が、壮麗な印象を与えます。
ロビー正面の講堂は、まるで教会の礼拝堂のような雰囲気。シンプルながらもシャンデリアや天井のレリーフなど、随所に豪華な装飾がされています。(講堂は毎月1回、一般公開されています)
ロビーから2階へと続く階段には、半円アーチの大きな飾り窓から光が差し込み、漆喰の白い壁や木の手摺りとあいまって、明るい印象を与えています。
2階で一番の見どころは、美しいステンドグラス。漆喰の半円アーチの向こうには、3枚のステンドグラスがはめ込まれていて、絶好の写真スポットとなっています。
中央のグラスは、ハマというカタカナを上下に並べたデザインの、横浜市徽章(通称「ハマ菱」)を、復興の象徴でもある鳳凰(フェニックス)が囲んでいます。
左右のグラスは向かって左が「呉越同舟」。
渡し船に乗っているさまざまな人物は、開港場・横浜に移ってきた、多様な人々を表しているのかもしれません。
右の「箱根越え」には、外国人が駕籠に乗っている様子が描かれています。
ステンドグラスの向こうの大きなバラ窓がある部屋では、建物の図面やステンドグラスの修復に関する資料が展示されていて、こちらも必見です。
時計塔への螺旋階段も見ることができます。(上ることはできません)
そして2階奥の階段踊り場には、ペリー来航時の旗艦・ポーハタン号を描いたステンドグラス。星条旗を翻したデザインのステンドグラスは、戦時中にも取り壊されることなく、戦後進駐してきた米軍人たちはこれを見て感動し、そのために接収された会館が大事に使われたとも言われています。
このステンドグラスは、外光の変化によってさまざまな色合いを帯びて美しく輝き、見ていて飽きることがありません。
ステンドグラスは関東大震災で一度焼失しましたが、昭和2(1927)年に新たに復元・制作されたものを、平成20(2008)年に、横浜マイスターの称号を持った職人さんが、丁寧に修復したものです。
2階でのもう一つの見どころは、広間の壁に描かれた壁画です。
明治から昭和にかけて活躍した、著名な洋画家・和田英作が手掛けた「開港前の横浜村」と「大正期の横浜港」という2つの壁画で、のどかな海辺の村だった横浜が大正時代には国際港として繁栄している様子が対比的に描かれています。
これらの壁画も関東大震災で失われましたが、昭和2(1927)年に建物が復旧された際、場所と大きさを変えて、現在の位置に再び制作されました。
絵画は額に入れられているように見えますが、壁に作った額にカンヴァスをはめ込んだ壁画となっています。そのため取り外すのは難しく、この壁画の劣化・修復問題が発端となり、建物を保存するのか、取り壊すのかという議論が巻きおこりました。
結果、建物は保存されたのですが、もしこれらの絵が壁画でなければ、状況は少し違ったものだったかもしれません。
その後、壁画は修復され、往時の色合いを取り戻して会館を飾っています。
この2枚の壁画を見ると、横浜の歴史と、横浜会館の保存・修復に関わった、人々の思いが伝わってくるような気がします。
「横浜市開港記念会館」は、外部が装飾的で華やかな大正期の西洋風赤煉瓦建築であることに対して、内部は昭和初期の復旧・制作のため、その時代性を反映して比較的シンプルな意匠のように見られます。
ところどころに、アール・デコ風を感じるところも興味深いです。
おわりに
ジャックこと「横浜市開港記念会館」は、歴史的建造物として価値があるとともに、横浜の歴史を見続けてきたランドマークとして、多くの人々の記憶に残る建物です。
横浜・関内の中心部にあるためアクセスもよく、館内は無料で見学可能で、街歩きの際にはぜひ訪れたい建物です。
外国人観光客、特に欧米の方々は、日本の西洋建築にあまり興味を示されない傾向にありますが、この「横浜市開港記念会館」は横浜の歴史が詰まった建物であり、美しいステンドグラスとそのエピソードには、興味をそそられるのではないでしょうか。
横浜市開港記念会館 データ
所在地:横浜市中区本町1-6(Googleマップ)
構造:煉瓦・鉄骨煉瓦およびRC造2階地下1階・塔屋付
設計者:福田重義 (実施設計:山田七五郎)
建設:基礎:斉藤平左衛門 上部:清水組
竣工:大正6(1917)年
国指定重要文化財
※開館日、アクセスなどの情報はこちら
参考文献
・「ジャックの塔」100年物語 神奈川新聞社(発行)
中区制90周年・開港記念会館100周年記念事業実行委員会、横浜市中区役所(編著)
・「横浜近代建築-関内・関外の歴史的建造物」
公益社団法人日本建築家協会関東甲信越支部神奈川地域会、まちづくり保存研究会